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幸福実現党

PostHeaderIcon 個人の利害をこえた「善」や「正義」の追求

今、政治において、個人の利害をこえて、国家にとっての「善」や「正義」の追求がなされていない。

沖縄の基地問題、大阪維新の会の躍進、尖閣諸島をめぐる都知事の言動を通じて、地方の首長の発言が注目されている。
とりわけ、震災以降、顕著であり、場合によっては「反対」を唱えることが強いリーダーシップの証のようにされている。

地域住民の意向を代表しての意志決定であるかもしれないが、政治家として「あるべき」意志決定とは思えない。共同体にとっての「善」や「正義」の追求が感じられないのだ。

マスコミに扇動された多数派、それに乗っかった意志決定こそが、民の声の代弁であり、「善」「正義」であると認識しているらしい。

民の声は、ときに誤る。多数派が、正しいとは限らない。

これは、先の政権交代をみれば明らかだ。

しかし、我々、「幸福実現党」は、共同体にとっての「善」や「正義」の追求を前提にした「判断」に努めている。

健康被害がないことを明らかにしない政治判断は誤りだ。
補助金をばらまいて、生きる力を削ぐ政治判断は誤りだ。
増税に政治生命を賭ける判断は誤りだ。
国防の危機を棚上げにして、代案を示さず、国防の責務が地方に明確にはないことを隠れ蓑にして、オスプレイに反対する地方首長の政治判断は誤りだ。
個人の人権を至上として、「脱原発」を主張する人々の声に屈し、国家レベルの政治判断を放棄するのは誤りだ。

おそらく、「誤り」をあげたらきりがない。場合によっては、「世論」とは正反対のものを「誤り」としていることもあるだろう。

だが、根本において、無神論者や唯物論者が下す判断は、「誤り」である。彼らには、価値判断の基準がない。あるとすれば、「自分自身」だけだ。

小さな「自分」レベルで、大きな国家レベルの「善」や「正義」の判断ができるはずがない。

幸福実現党が、正面切って、宗教政党を標榜している理由は、ここにある。

信仰ないものに、大きな国家レベルの「善」や「正義」の判断はできないのだ。